(1)たばこハームリダクションにおける加熱式たばこの意義の科学的検証:たばこ煙成分が生体及び細胞機能に及ぼす影響の解析
たばこハームリダクションとは,たばこ (喫煙) の害を低減することによって,喫煙関連疾患による人間や社会への負荷を軽減する概念である。本邦では,たばこハームリダクションを目的として,ニコチンガムやパッチなどのニコチン置換療法の薬剤や加熱式たばこ製品が使用されている。
近年,喫煙者の健康志向の高まりや改正健康増進法の施行を受けて,紙巻たばこの喫煙から加熱式たばこ製品の使用へと,喫煙者の行動変容が進んでいる。加熱式たばこの喫煙では,燃焼による化学物質の発生を伴わないことから,加熱式たばこの主流煙に含まれる化学物質の量は,紙巻たばこよりも少ないことが知られている。それ故,加熱式たばこは,喫煙に伴う化学物質の曝露リスクを減らす可能性のある製品として,日本国内外で販売されている。一方,加熱式たばこの主流煙中にも,紙巻たばこと同様に,ニコチンやアクロレインといった生体に影響を及ぼす健康懸念物質が含まれていることから,加熱式たばこ喫煙者の健康に悪影響を及ぼす可能性が示唆されている。しかしながら,加熱式たばこの健康リスクに関する科学的エビデンスは圧倒的に少ないのが現状である。
当教室では,加熱式たばこと紙巻たばこの健康リスクを科学的に検証するため,たばこ主流煙曝露動物を作製し,呼吸器に対する喫煙の影響を遺伝子・タンパク質・組織レベルで解析している。また,様々な培養細胞を用いて,たばこ煙成分が細胞機能に及ぼす影響を解析し,健康懸念物質の同定とその作用機序の解明に取り組んでいる。
(2)好中球の活性化及びその制御機構に関する研究
好中球は、ヒトの白血球の半数以上を占める重要な免疫細胞であり、その主な役割は、体内に侵入してきた病原体を貪食し、活性酸素種(ROS)により不活化し、体内から排除することです。また、近年、好中球は自らの核内のクロマチンを放出し、病原体を捉えるneutrophil extracellular traps (NETs)によっても、病原体を排除していることが報告されています。このように、好中球の主な働きは、病原体を体内から排除することであり、好中球の機能が低下すると、感染症に罹りやすくなることが知られています。一方、過剰な免疫反応は、感染症の重症患者で見られるように、サイトカインストームを引き起こし、好中球の過剰な活性化、それによって起こるROSによる組織へのダメージやNETsによる全身での血栓などによって、死をもたらすことが知られています。この過剰な好中球の反応を抑える薬として、現在、最も使用されている薬が副腎皮質ステロイド薬です。しかしながら、骨粗鬆症や高血糖症をはじめ、様々な副作用を引き起こすのが欠点です。これらの原因として、副腎皮質ステロイド薬が、免疫細胞以外の様々な細胞や組織に作用することがあります。また、好中球の活性化を抑えるために炎症性サイトカインに作用する抗体医薬も開発されていますが、現在のところ、完全に炎症をコントロールするには至っていません。
私たちは、好中球の活性化にミトコンドリアの融合に関係するMitofusin 2(MNF2)やLeucine Rich Repeat Kinase 2(LRRK2)が重要な働きをしていることを見出しています。
好中球の活性化及びその制御機構を明らかにしていくことで、活性化する好中球の働きを直接抑え、他の組織や細胞に影響を及ぼすことなく制御できる副作用の少ない薬剤を開発に貢献したいと考えています。
マイクロシリンジの先から放出されている細菌性ペプチド N-formyl-Met-Leu-Phe(fMLP)に向かって動く好中球様細胞
(3)環境化学物質の毒性メカニズムとその病態生理作用の解明
我々は、様々な化学物質に囲まれて生活しています。化学物質の中には、我々の体に影響を与えるものも数多くありますが、その代表的なものにタバコの煙があります。タバコの煙は4,000種類以上の化学物質から成る混合物ですが、我々の研究室では、それらの化学物質の中から「細胞を殺す作用が非常に強い化合物群」を同定することに成功しました(Noya et al., 2013; Higashi et al., 2014)。それらの化合物の中に「不飽和カルボニル化合物」に分類されるアクロレイン(acrolein)とメチルビニルケトン(methyl vinyl ketone)があります。
アクロレインやメチルビニルケトンは、タバコの煙に含まれるだけでなく、草木や油脂類などの有機化合物を燃焼させた際に発生する煙や自動車の排気ガスに含まれるほか、ある種の抗がん薬の代謝産物であったり、別の化合物の有機合成にも使われるなど、我々の環境に存在する環境毒性物質の一つです。これらの化合物に我々が曝露されると、我々の体の中にある細胞の働きに異常が起こったり細胞が死んでしまったりします。ところが、不飽和カルボニル化合物がどのようにして細胞に異常を引き起こしたり細胞を殺したりするかは、これまで殆ど分かっていませんでした。我々の研究室は、不飽和カルボニル化合物の毒性メカニズムの解明を進め、これまでに1)不飽和カルボニル化合物が様々な細胞系においてプロテインキナーゼC(PKC)依存的に細胞死を引き起こすこと(Noya et al., 2013; Higashi et al., 2018)、2)その細胞死が「フェロトーシス」と呼ばれる種類であること(Higashi et al., 2023; Horinouchi et al., 2014)、などを発見してきました。
これらの研究成果をさらに発展させるため、不飽和カルボニル化合物による細胞死のメカニズムをより詳細に調べると共に、不飽和カルボニル化合物が細胞死以外に細胞にどのような影響を与えるか、またそれが我々の体にどのような異常を引き起こすか、ということなどを明らかにしようと試みています。